世界恐慌
1929年、第一次世界大戦後、世界経済の中心となったアメリカで株価の大暴落から恐慌が始まった。世界中に広がった恐慌を世界恐慌という。
世界恐慌の対策としてアメリカ大統領フランクリンルーズベルトがおこなったニューディール政策は農業や工業の生産を調整し、積極的に公共事業をおこし、労働者の賃金を引き上げるなどした。これによって国民の購買力を上げて経済が回復に向かった。
フランスやイギリスでが世界恐慌の対策として行ったブロック経済とは植民地と自国の貿易をさかんにし、外国からの商品には高い関税をかけてしめ出す保護貿易政策のことである。
ソ連は社会主義のため、五ヵ年計画とよばれる計画経済をおこないほとんど世界恐慌の影響を受けずに成長を続けた。
ファシズムは民族と国家の利益を再優先する軍国主義的な独裁政治の体制で、当時イタリアやドイツ、スペインで勢力を強めた。
イタリアは第一次世界大戦の戦勝国にもかかわらず被害が大きく、経済が混乱していた。ファシスト党を率いるムッソリーニが国民の不満をあおりながら1922年に政権を握って独裁政治を行い、世界恐慌後にはエチオピアを侵略した。
ベルサイユ条約による賠償金が重い負担となって経済が混乱していたドイツで、国民の不満をあおって支持をあつめたナチスが政権をにぎってヒトラーが首相になるとワイマール憲法を停止して独裁政治を始めた。ヒトラーはドイツ民族の優秀さを国民に意識させユダヤ人を迫害した。