明治維新_確認
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「広クヲ興シ万機公論ニ決スベシ・・・」で始まる五箇条の御誓文は 1868年3月に新政府の方針として定められた。
1868年に江戸を①と改称し、翌年には首都とした。また年号を慶応から②に改めた。
人々は新しい政治をと呼んで期待した。
政府のしくみは制が採用され、太政大臣、右大臣、左大臣などがおかれた。
1869年、藩主にとを、政府に返させたことを版籍奉還という。
1871年には廃藩置県を行い中央から各県にを派遣して治めさせた。
中央政府では薩摩・長州・土佐・肥前の4藩出身者や少数の公家が実権を握ったため後に政府と呼ばれる。
皇族以外は全て平等として古い身分制度は廃止された。このことは士、農、工、商の身分をひとつにすることからとよばれた。
解放令により身分や身分として差別されてきた人々の呼び名が廃止され身分や職業も平民と同じとされた。
近代化政策の基礎となる制、制、制の三つの改革を三大改革という。
1872年に公布された制により満6歳になった男女を全て小学校へ通わせることが義務となった。
1873年に徴兵令が出され満歳になった男子は兵役の義務を負うことになった。
地租改正について
土地の所有者と地価を定めてを発行した。
税の基準はそれまでのaからbになった。
それまでaで納めていたものをbで納めるようにした。
地租改正によって税の負担がほとんど変わらなかったことから各地で反対のがおきた。
政府が欧米諸国に対応するため、①を発展させて国力をつけ、②を強くすることを目指した政策を富国強兵という。
1872年に新橋・横浜間にが開通した。
群馬県の製糸場など官営模範工場を作った。
は日本最初の銀行や、多くの企業を設立し「日本の資本主義の父」といわれた。
通信ではそれまでの飛脚に代わって制度や電信網が整えられた。