弥生〜古墳時代_確認
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稲作が盛んになると小さな国々ができ、人々を支配する豪族やが現れる
中国の歴史書である「漢書」地理志には紀元前1世紀ごろの倭には①余りの国があり、②郡を通じて漢に使いをおくる国もあったと書かれている。
後漢書東夷伝には1世紀半ば、倭の国の王が後漢に使いを送り皇帝から金印を授けられたと書かれている。
(3)の金印は時代に福岡県の志賀島で発見された。
3世紀に中国では漢が滅び、魏・・の三国に別れて争う三国時代になった。
魏志倭人伝には①国の女王卑弥呼が倭の②余りの小さな国々を従えていたと書かれている。
卑弥呼は魏の皇帝に使いを送り「親魏倭王」の称号と金印、銅鏡枚などのおくりものを受けた。
大和政権は3世紀後半、盆地を中心とする地域に生まれた。
大和政権は王を中心に近畿地方の有力なで構成された。
大仙古墳のような形の古墳を墳という。
古墳がさかんに作られた3世紀後半から世紀末ごろまでを古墳時代という。
古墳の多くは表面にがしきつめられ、埴輪がおかれた。
中国では4世紀頃から国内が分裂し、5世紀から6世紀には北魏と宋が対立する時代になった。
大和政権が百済や伽耶地域の国々と結び、朝鮮半島で高句麗や新羅と戦ったことが碑に記されている。
埼玉県の①古墳出土の鉄剣や熊本県の②古墳出土の鉄刀にワカタケル大王の名が刻まれている。
ワカタケル大王は、倭の五王のうちと同一人物と考えられている。
渡来人が伝えた技術には、農業用の大きな①池や、②製の農具。上質の③織物を造る技術、④で焼く、かたく黒っぽい須恵器などがある。