鎌倉末〜室町_確認
カッコ内に適切な語句、または数字を入れよ。
13世紀初め、チンギス・ハンが帝国を建設した。
皇帝になった孫のフビライ・ハンは国号を①にして都を②に移した。
フビライは朝鮮半島のを従え、さらに日本を従えようと使者を送るが、執権北条時宗がこれを無視した。
①年の文永の役と②年の弘安の役の二度にわたって元が襲来したことを元寇という。
この時の元軍は①戦法と②を使った武器で幕府軍を苦しめた。
フビライに仕えたマルコポーロはイタリアに帰国後を口述する。
御家人は相続などで生活が苦しくなり土地を手放すものもいた。
1297年、幕府はの徳政令を出し、御家人が質入れしたり、売ったりした領地を取り戻させた。
氏一族に権力が集中したことで幕府への反感が強まった。
は楠木正成や足利尊氏を味方につけ1333年、幕府を滅ぼす。
(10)が始めた建武の新政は①の政治を否定し②を重視した。
足利尊氏が①の政治の復活を呼びかけ挙兵したので建武の新政は約②年で終わった。
尊氏の挙兵に対し天皇が逃れた吉野方を①朝, 尊氏が新たに立てた天皇の京都方を②朝という。
京都と吉野の2つの朝廷が争った約60年を時代という。
第代将軍の足利義満のとき南北朝は統一される。
義満は京都のに御所を建てた。
将軍の補佐役の管領には有力なが任命された。
幕府は京都で金貸しをしていたやを保護しかわりに税を取り立てた。
守護がの権限を吸収し守護大名として国内の武士をまとめ独自の支配をするようになる。
鎌倉にはが置かれ、足利氏の一族が鎌倉公方になって関東を支配した。