元禄〜享保_確認
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第5代将軍徳川は儒学を学ぶことをすすめ、とくに朱子学が広く学ばれた。
第6代、第7代将軍のもとで儒学者のが行った政治を正徳の治という。
水戸藩の徳川は全国から学者を集め、大日本史の作成を命じた。
将軍徳川綱吉のころ、上方でを担い手とする元禄文化が栄えた。
井原西鶴は人々の生活をもとにに書いた。
近松門左衛門は心中など実際の事件をもとにの台本を書いた。
は演劇として発達し上方の坂田藤十郎やえどの市川団十郎などの名優が活躍した。
俳諧では松尾芭蕉が紀行文のを書いた。
菱川師宣は都市の町人の風俗をもとにをえがいた。
庶民の衣服はが一般的になった。
を使う行灯が広まって夜遅くまで起きているようになった。
徳川吉宗が紀伊藩主から第代将軍になり享保の改革をおこなった。
大名のをゆるめる代わりに幕府に米を納めさせる制度を上げ米の制という。
吉宗はの基準となる公事方御定書という法律を定めた。
吉宗は庶民の意見を聞くためにを設置した。
経済が農村まで浸透し、貧富の差が広がった。
貧しくなった農民のなかには土地を手放して小作人になったり都市にに出るものあった。
18世紀ごろから、が農民に織機やお金を前貸しして布を織らせ、製品を安く買い取る問屋制家内工業がはじまった。
19世紀ごろには、大商人や地主がを建設し、人をやとって分業で製品をつくるマニュファクチュアがはじまった。
18世紀には多くの村が団結してに年貢の軽減や悪代官の交代を要求する百姓一揆が増えた。
また、では、米を買い占めた商人に対して打ちこわしが起こった。