第2次大戦後1 確認
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第2次世界大戦後、日本の本土はアメリカ軍を主力とする軍に占領された。
日本はGHQの司令に従ってが政策を実施する間接統治が行われた。
と奄美群島、小笠原諸島はアメリカ軍が直接統治した。
GHQの占領政策の基本方針は化と民主化だった。
それまで満①歳以上の②に認められていた選挙権が満20歳以上の男女にあたえられた。
経済の民主化としてそれまで日本経済を支配してきたを解体した。
農村では農地改革が行われ、地主が持つ土地を政府が強制的に買い上げてに安く売り渡した。
日本国憲法は1946年11月3日に①され、翌年の5月3日に②された。
天皇は国と国民統合のとなった。
国民を代表するが国権の最高機関となった。
新憲法の制定に伴い、地方公共団体について定める①法や民主主義の教育の基本を示す②法が作られた。
1945年10月、国際連合が作られた。国際連合の機関である理事会ではアメリカ、イギリス、フランス、ソ連、中国が常任理事国になった。
アメリカを中心とする①主義諸国の西側と、ソ連を中心とする②主義諸国の東側の対立は冷たい戦争(冷戦)とよばれた。
軍事同盟として西側は①条約機構を作り、東側は②条約機構を作った。
中国では内戦で共産党が勝利しを主席とする中華人民共和国が成立した。
共産党との内戦に敗れた党は台湾にのがれた。
朝鮮では年に朝鮮戦争がはじまった。
アフリカで17カ国が独立した年は「アフリカの年」と呼ばれた。
朝鮮戦争で在日アメリカ軍が出兵するとGHQの司令で隊がつくられた。
1951年、吉田茂内閣はアメリカなど48か国と平和条約を結んだ。
1955年に①党が結成され、野党第一党の②党と対立しながら38年間政権をとりつづけた。これを55年体制という。
1960年、内閣が新しい日米安全保障条約を結んだことにたいして安保闘争がおこった。