東アジアの情勢
明は1368年に漢民族によって建国された。国内の混乱などでおとろえていた元は北へ追いやられた。明は伝統的な朝貢貿易をおこなった。このころ、東シナ海で船をおそったり密貿易をしたり大陸沿岸をあらすなどしていた集団を倭寇という。倭寇は西日本の武士や商人、漁民のほか、朝鮮人や中国人もいたと考えられている。
日本が明と朝貢貿易をするにあたり、明から倭寇の取り締まりを要求された。これに応じて倭寇の対策として、正式な貿易船にあたえられた証明書が勘合である。このため日明貿易を勘合貿易という。足利義満は明の皇帝から日本国王に任命され、朝貢の形の日明貿易を始めた。この日明貿易によって幕府に莫大な利益がもたらされた。
14世紀末、李成桂が高麗を滅ぼして朝鮮国を建国した。ハングルは「大いなる文字」の意味で、第4代国王のときに作られた朝鮮独自の文字である。
琉球では10世紀頃農耕が始まり、12,13世紀を通じて按司と呼ばれる豪族が勢力を争っていたが、14世紀半ばに北山、中山、南山の3王国が成立した。15世紀初めに中山の王である尚氏が北山、南山の勢力を滅ぼして沖縄島を統一し、琉球王国を建てた。尚氏は都を首里とした。
琉球は明との朝貢貿易で得た産物を諸国に転売する中継貿易によって栄えた。
蝦夷地のアイヌ民族は狩りや漁を中心とした生活をしていた。また、沿海州地方などと活発に交易をしていた。
14世紀ごろに、津軽の十三湊を根拠地にした安藤氏はアイヌ民族と交易を行うようになった。
15世紀には蝦夷地南部に和人が館を築いて進出した。
15世紀半ばに交易をめぐって不満を持ったアイヌの人々が首長のコシャマインを中心に戦いをおこした。
室町の生活
農作物のために人工的に水田や畑に水をひくことをかんがいという。室町時代には水車やため池などかんがいの技術が広く普及した。
月に数回,一定の日に定期的に開かれた市を定期市という。鎌倉時代までは月に3回が,室町時代には月6回に増えていった。定期市では日宋貿易で入ってきた宋銭や日明貿易ではいってきた明銭が貨幣として使われた。
室町時代などに活躍した運送業者には、馬を使って荷物を運搬する馬借と、牛にひかせた車で運搬する車借があった。問(問丸)は運送業をかねた倉庫業者で、後に問屋となった。
土倉、酒屋ともに室町時代の金融業者(高利貸し)である。土倉は質物を保管する倉庫をもっていたことから呼ばれた。酒屋はもともと酒を販売する業者だったがもうけをもとにして高利貸しをおこなった。
商人や手工業者などは座という同業者組合をつくり、有力な武士や貴族、寺社などに税をおさめて保護を受け、営業を独占する権利を認められていた。
室町時代、京都や博多、堺などの都市で自治がおこなわれれていた。その政治をになっていたのが町衆である。
農村での自治組織が惣(惣村)である。村のおきてをつくったり、寄合でもめごとを解決したりした。
一揆は一致団結して行動することを意味した。正長元年に馬借が中心となっておこした正長の土一揆が土一揆の始まりである。「どいっき」ともいう。
土一揆では土倉や酒屋など高利貸しをおそって借金の帳消しを求める徳政一揆が多かった。