答
A ナイル川
B ユーフラテス川
C チグリス川
D インダス川
E 黄河
F 長江
ア エジプト文明
イ メソポタミア文明
ウ インダス文明
エ 中国文明
食物の貯蔵や調理
人権がみとめられず、他人の所有物とされて、労働を強制されたり、売買の対象にもされた人々。
ナイル川の氾濫する時期を正確に知るため。
都市が一つの国となっている国家。
北方の遊牧民の侵入を防ぐため
中国から絹織物が西方に運ばれたため。
古代文明
農耕牧畜がはじまり食料が計画的に生産できるようになると、食料のたくわえができる。その食料をめぐる争いから国ができた。
戦争や祭り、農作業や工事などの指揮をしていた人が次第に支配するもの(王や神官、貴族)になっていき、農民や奴隷などを支配した。
戦争に敗れて捕虜となった人々やその子孫が奴隷とされ、強制的に労働させられ品物と同じように売買された。
エジプトでは毎年夏にナイル川がはんらんし、それによって養分の多い土地で農耕が発達した。さらにナイル川のはんらんの時期を知るために天文学が発達した。このことからエジプトはナイルのたまものと言われる。
エジプトでは紀元前3000年頃、強力な王のもとに統一国家が生まれ、強力な王権を象徴するのが国王の墓としてピラミッドが作られた。
また、太陽を基準として1年を365日として12ヶ月に分ける太陽暦が発明され、文字は象形文字が使われた。
チグリス川、ユーフラテス川のほとりのメソポタミアでは紀元前3000年ごろに都市国家が成立し、60進法や七曜制が発明された。
メソポタミア文明では月の満ち欠けに基づく太陰暦が作られ、楔形文字を粘土板にきざんで使用した。
インダス文明は紀元前2500年頃、インダス川のほとりで生まれた。
紀元前16世紀ごろ黄河流域に殷がさかえた。紀元前11世紀に周が殷をほろぼしその後、周の支配力が弱まり紀元前8世紀頃には国々が互いに争う戦乱の春秋・戦国時代になった。
紀元前3世紀に、春秋戦国時代の戦乱をおさめて、中国をはじめて統一したのが秦である。秦の始皇帝は北方の遊牧民の侵入を防ぐため戦国時代に各国が作っていた長城をつないで万里の長城とした。
秦は統一から15年で滅び、かわって漢が中国を統一した。漢は紀元前2世紀には中央アジアも支配下に入れる大帝国になった。
西方との交通路を通って、中国から絹織物が西方へ運ばれたため、この交通路を「シルクロード(絹の道)」と呼ぶ。